腹痛が原因で一年に三回MRI検査をした話(きっかけ編)
ずっとX(旧Twitter)の身内のみの鍵垢で話してたけど女性なら誰しも有り得る話だよなと思い、今年2023年ずっと病院通いしてた話をはてなブログに残します。少し生々しい話もあったりしますが、少しでも誰かの役に立ったら幸いです。みんな自分の体は大切にしよう!
プロフィール
私はアラサーの女性です。大きな病気はしたことはなく、入院や通院とは無縁な生活を送っていました。
現在実家暮らしのフリーターという甘えた生活を送っており、父母弟(8個下)と平和な関東の田舎の一軒家住んでいます。
突然の激痛
2023年3月12日、私は大阪への遠征を控えていました。ひらかたパーク(通称ひらパー)で行われる仮面ライダーショーに推しである仮面ライダーゲンムが登場するからです。
11日に都内で時間を潰して夜を明かし12日の早朝新幹線を使い大阪へ向かう予定でした。
ホテルを取り、事前に大金を財布に入れて、あとは痛バを組むだけという状態でした。
当時やっていた仮面ライダーギーツをまだ未視聴だった私は、当日までに最新話まで追いつきたいと思い毎日ギーツを観ていました。
10日の夜、その日も布団に入ってスマホでギーツを観てました。そろそろ眠くなってきたなという時、左下腹部がズキッと痛みました。
「生理終わった次の日だしよくあることだな」
そんなことを思いながらアプリを閉じました。時刻は深夜2時、日付も変わって3月11日になってました。
しばらくすれば痛みも引くかなと思ってましたが、引く気配はなく、どんどん痛みが増していきました。
「あ゛あ゛ー」とか「う゛う゛ー」とかとにかく声を出してないとやってらんないくらいの痛み、身体中から汗が吹き出てどうしようもない。そんな中、隣の弟の部屋から笑い声が漏れ出てました。ゲームしながら通話してたんだと思います。
と、とにかく水と痛み止めが飲みたい!
起きている弟ならワンチャン気付くと思い、LINEでスタンプ連打。無事に気付き部屋に来てもらい、普段生理の時に飲んでいる市販の鎮痛剤と水を所望。凄く心配しながら用意してくれてその後退室する弟。彼に感謝をしながら薬を飲むも痛みは引かず。
どうする?このまま朝を迎える?でも耐えれるか?というかこれ原因何なんだ?駄目だ限界だ!
そう思いまた弟にLINEスタンプ連打。掠れた声で「親を起こしてほしい」「救急車を呼んでほしい」と伝え、深夜3時に親を起こしてもらうことに。
ぞろぞろと部屋に集まる家族全員。ずっと唸り続ける自分。「便秘じゃない?」と結論つけようとする母、でも生理の前後に痛む場所だったこともあり絶対違うと断言。
救急車呼ぶと地元の古い総合病院に運ばれるのが確定していて絶対入院させられるから隣町の総合病院に緊急外来行けるか電話しようということになり、動けない私は父に抱えられながら階段を降りることに(自室、弟の部屋が2階)
玄関先に降ろされ、父が車を出している途中で嘔吐。うつ伏せで蹲って顔を横に向けていたため、髪と頬にめちゃくちゃ付いた状態を見た母は自家用車で運ぶのは駄目だと判断し、救急車を呼ぶことに。
保険証が入っている財布と私のスマホを母がバッグに詰め、無理矢理起こされて救急車の担架へ横になる。
救急車に乗ったり呼んだりしたことがある人は分かると思うのですが、救急車は来たらすぐに運んで病院へ!ではなく、病状や今までに罹った病気など色々聞いて把握してから病院へ行くのでしばらくは現場に止まります。
なので深夜3時過ぎに住宅街にパトランプ光らせて止まっていたため凄く恥ずかしかったのを覚えてます。
また、生理が関係あるかもと話したので隊員の方に生理の話をして、生理がいつ終わったか話すためにスマホを出したのですが、スマホケースにあんさんぶるスターズ!!の逆先夏目くんのぱしゃっつが挟まってて、スマホのロック画面がYouTuberの東海オンエアで、それを母と退院の人たちみんなに見られたのは凄く恥ずかしかった。
※当時のスマホカバー
緊急搬送
母が事前に隣町の総合病院に電話掛けてたことを伝えたため、そのまま隣町まで行くことになりました。
大事になりすぎて
あー本当に運ばれてしまったー
これ明日飛べるのかな
というかキャンセルとかってどうなるんだろう
とか考える余裕が出るほど冷静になっている中、無事に到着。担架で運ばれてベッドに移動されて色々点滴や診察などが淡々と進んでいく。
女性なので妊娠している可能性はないかと言われて「ないです」と答える。
「万が一のために尿検査したいからトイレ行ってもらってもいいですか?」
と言われても正直腹痛が酷くて出せるか分からなくて困っていると、
「本当に出ないとなると尿道にカテーテル入れることになるんですが……」
と困ったように言われて流石にそれはと思い車椅子でトイレへ運ばれることに……
検査は陰性で、次にCTを撮ることに。担架で運ばれ寝たままの状態で撮影。
色々行って待っていると母と共に医師の方が来て結果を伝えてくれました。
「申し訳ないですが今婦人科の先生がいないので詳細は分かりませんが、多分しろのさんが仰ってた通り子宮や卵巣関係のものかと思われます。明日……というかもう今日ですね、うちじゃなくて大丈夫ですのでお近くの婦人科に行ってみてください。CTの結果などお会計時にデータお渡しできるようにしますので。」
ということで明け方5時に診察終了。
眼鏡を忘れたことにより、何も見えない状態で手を振る母の方へよぼよぼと腰を曲げてゆっくりと歩く姿は凄く情けなかったと母に言われました。
会計が思ったより高く(CTや検査など色々行ったため)遠征費用から6割取られていきました。
父が車で迎えに来てくれて、家に着いた頃には朝7時前になってました。
痛みがまだありあまり動けなく、2階の自室へ行けないため1階リビングに陣取ることに。毛布やスマホの充電器など用意してもらいソファーに根城を作りホテルなどをキャンセルして仮眠を取ることにしました。
地元の婦人科へ
婦人科に今後通うことになった場合を考えて、母は私が生まれた病院に行くことを決めてくれました。ですが、流石に20年以上前の話なのでカルテとか残っているのか分からないし診察券が使えるか分からないため電話をすることに。
「お母様のカルテは見つかりましたが、娘さんのが見つかりませんでした。」
どういうこと?????
とにかく母がその病院で産んでいるという事実確認が出来たので母と行くことに。
当たり前だけど赤ちゃんを抱いたお母さんが多く、そんな中でアラサー女に付き添いしてくれるアラフィフの母。浮きすぎて辛かった。
「20年ぶりに生まれた病院で診察だなんて素敵ですね」
と言われながらも、妊娠はしていないので苦笑いしか返せず腹痛に耐えながら診察へ。
腹を出しエコー検査した結果、
左の卵巣が6センチに肥大してる
とのことでした。
※後でググったら普通の卵巣の大きさは3〜4センチらしい
とりあえず大学病院への紹介状出しますねとの事で、痛み止めを処方してもらい地元の病院での診察は終了しました。
そのまま大学病院へ向かおうとするも受付時間が終了してしまっていたので、それは次の日へとお預けになりました。
この頃には精神的には元気な状態でしたが、体調はまだ優れず腰は90度に曲げて歩幅は小さい雑魚と化してました。
遠征のために連休取っててよかったーなんて思いながら、翌日1人で大学病院へ行くことになりました。
大学病院編へと続く